英語の語彙は大まかに言えば、本来語と借入語(外来語)に分けることができます。

本来語というのは、古英語、即ち五世紀半ば頃にブリテン島に移住したアングロ・サクソン族の言語にさかのぼることができる語です。


例えば、moon (月)は本来語です。古英語では「月」は mona ですが、mona から moon への発音や綴りの変化は、tooth (古英語はtoth) や goose (古英語はgos)などにも見られる規則的な変化です。古英語のmona がなくなり、新しく moon という語ができたわけではありません。

英語の語彙には、ラテン語やフランス語からの借入語が非常に多いという特徴があり、借入に伴って、同じ意味の本来語がすたれてしまったという事がよく起こりました。しかし、「月」を表す古英語 mona は、語形と発音は変化したものの、ラテン語の luna やフランス語の lune に入れ替わることはなく、moon として今日まで生き続けています。

さて、アングロ・サクソン族というのはゲルマン民族の一派です。今日ではイギリス人、オランダ人、ドイツ人、ノルウェイ人、デンマーク人、スウェーデン人、などに分かれていますが、彼らの遠い祖先が、紀元前2000年から1000年の間に北ヨーロッパに定着した時には、その言語は、方言的な差異があるものの一つの言語であったと考えられています。

このゲルマン民族共通の祖先語をゲルマン祖語と言います。古英語は記録に残されている言語ですが、ゲルマン祖語は、記録にあるゲルマン諸語から言語学的な推論を積み重ねて推定された言語です。このことを明示するために、推定された語には、*を付けるのが慣習になっています。

英語 moon の語源は、記録上は古英語 mona です。しかし、「月」を意味する他のゲルマン諸語の古い語形も集め、それぞれの語の変化の規則性を考慮しながら、古い形を探っていくという手続きを経ることで、共通の語源 *menon が推定されています。つまり、英語 moon、オランダ語 maan、ドイツ語 Mond、北欧諸語の mane は、ゲルマン祖語までさかのぼれば、*menon という一つの語であったと考えられるのです。

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今では、英語の祖先語は、ゲルマン祖語より更に古い、印欧祖語と呼ばれるものであると考えられています。印欧祖語というのは、印欧語族に属する諸言語の、共通の祖先語という意味です。

印欧語族(インド・ヨーロッパ語族)に属する言語とは、ヨーロッパのほとんど全土からインドにいたる広大な地域で現在も使われている数多くの言語のことで、それぞれ別の言語として独自の発展を遂げています。しかし、これらの言語は、五千年から七千年前、あるいはそれ以上ともいわれる遠い過去においては、比較的小さな地域で話される一つの言語であったと考えられているのです。この言語が印欧祖語です。

今では、「ヒンディー語もペルシャ語もギリシャ語もフランス語もロシア語も英語も、もともとは同じ一つの言語だったんだよ」と言われたら、そういえば世界史の教科書にそんなことが書いてあったなあと思い出す人は多いかもしれません。しかし、18世紀後半、イギリス人、ウィリアム・ジョーンズが、サンスクリットとラテン語とギリシア語の顕著な類似性を指摘し、 これらの言語がこれほどまで似ていることは、この三つの言語が共通の祖先語から分化したと考える以外に説明のしようがないと述べた時、ヨーロッパの知識人は大いに驚きました。この時ジョーンズは、語族という言葉を使って、この三つの言語のほかに、ゴート語とケルト語と古代ペルシア語もこの語族の中に入るだろうとも述べています。

ジョーンズの発言がもたらした衝撃から、諸言語の語彙や文法を比較研究する学問が生まれました。比較言語学の誕生です。この学問の成果は著しく、数多くの言語が、語彙においても文法においても類似していることがわかり、その結果、印欧語族という世界最大の言語家族の存在が実証されました。どれだけ沢山の言語がこの語族に属するかを系統図で確かめれば、改めてこの語族の規模の大きさが感じられるでしょう。

印欧祖語という言語を話していた人々、すなわち印欧語族の遠い祖先たちが、どこで暮らしていたのかについてはいまだに議論の分かれるところで、決定打というべき確実な説はありません。しかし、各言語の語彙の比較研究から、語源の解明が進み、多くの語根が推定されていて、この祖語を話していた人々の生活や文化についてもある程度の推論ができるようになりました。

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先ほど来の「月 moon」にもどりましょう。印欧祖語において月(moon)を意味する語は、*men-という語根を持つと考えられています。これは、印欧語族に 属する諸言語の、「月 moon」を意味するもっとも古い語を集め、それらの変化の規則性を考慮して、理論的に再建された語源です。*のマークは、記録に残され ている語ではなく、言語学的手法によって推定された語であることを示しています。

「月 month」を表す多くの印欧語も、英語の month と同系統の語です。つまり、month の意味のラテン語の mensis やギリシア語 men の語源と、 英語 month の語源は、印欧祖語においてはひとつの語になると考えられているのです。mensismen に由来する幾つかの語は、借入語として英 語の語彙の一部になっています。私たちが提案する語彙習得辞典 『新英語辞典』 では、これらの語は 本来語の moonmonth とともに*me- 表3> にまとめてあります。

印欧語根 *men- は更に、「測る、計る」という意味の *me- に由来すると考えられています。これは、月が時を計る重要な天体であった ことからでしょう。一年という周期は太陽によって測られます。一日の長さも、太陽が教えてくれます。しかし人の営みに即して時を区切る場合、一年と一日の中間に別 の尺度があると便利です。夜の闇を照らす月が三十日周期で規則的な相を見せながら空に現れるのは、古代人にとってはまさに「天の恵み」であったでしょう。

この *me-「測る、計る」 は、ギリシャ語 metrein (測る) やラテン語 metiri (測る) の語源になっている語です。metreinmetiri から生まれた語の幾つかは英語にも借入語として入ってきました。『新英語辞典
では、これらの語はそれぞれ、 *me- 表1>*me- 表2> に所収されています。

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英語の本来語である moon は、その語源を可能な限り遠くまでたどっていくと、「測る」という意味の印欧語根 *me- にまで行き着くことがわかり ました。つまり、moon という本来語は、英語にとっての外来語である、 measure meter と、究極的な語源においてはつながっているのです。

同じような事例を二つあげておきます。英語 foot(足)は、オランダ語 voet やドイツ語 Fus などと共に、ゲルマン祖語 *fot- までさかのぼることのできる本来語です。しかし更に遡源すれば、英語にとっての外来語である pedestrian octopus とも、究極的な 語源 *ped- においてつながっています。*ped- に由来する語は、 *ped- 表1>*ped- 表2>*ped- 表3>に整理されています。

同様に、本来語である knee(膝)は、究極的な語源としては印欧語根 *genu- が想定されている語で、この語源にさかのぼれば、借入語 の genuine(本物の)や diagonal(対角線)などとも関連する語なのです。 *genu- に由来する語は、 *genu- 表1>*genu- 表2>に にまとめられています。

footknee が、他の多くの印欧諸語の「足」や「膝」を表す語と共に、共通の語源として印欧語根を持つのに対し、同じく基本的な身体部分を表す語 である hand(手)はゲルマン語特有の語で、他の印欧諸語に同系の語はありません。面白いことに、古英語には「手」の意味で、 印欧語根 *man- (2) に由来する mund という語があったのですが、どういうわけかこの語は英語の語彙から消えてしまいました。 本来語の中には、hand のように、ゲルマン祖語まではさかのぼれるものの、印欧祖語にまではさかのぼれない、ゲルマン語特有の語もあるのです。

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再び、moon に話をもどしましょう。英語では名詞の moon に対して、「月の」と言いたいときには、of the moonmoon's を使う ほかに、lunar という形容詞も使われます。lunarmoon とは語源的に関係がなく、ラテン語 luna (月) に由来する借入語です。

lunatic (非常に愚かな、常軌を逸した人) も、ラテン語 luna (月) に由来する語で、14世紀頃借入され、今でも使われています。月の光や満ち欠けが 狂気の要因になるという俗信からできた語ですが、この迷信は広く受け入れられていたようで、英語には、monseoc という、「月」と「病気」を合成した本来語製 の語もありました。しかし、monseoc (のちに、moone sicke) は英語の語彙から消えてしまい、lunatic が生き残りました。16世紀になって から、Cheke という学者が借入語に反発して、lunatic に替えて mooned という語を使ったのですが普及しませんでした。

lunatic は、本来語が敗れ外来語に軍配が上がった例です。このように本来語と借入語は対立してどちらかが死語になってしまう場合も ありますが、共存してどちらも生き残る場合もあり、これは、英語の語彙が世界一豊富だといわれる大きな要因になっています。

英語では一般的に、同じことを言いあらわす本来語と借入語が併存している場合、本来語の方が簡潔に力強く感情をあらわせるといわれています。一方、本来語のもつ 素朴な響きより、借入語のもつ「硬質感、よそよそしさ」の方が、客観性、おちつき、フォーマル感などを伝えるのにふさわしい場合もあるでしょう。

私たち日本人は、和語と、漢語やそのほかの外来語を使いわけたり、時には、これらを混ぜ合わせて新語をつくったりしながら、日本語を豊かなものにしてきました。 英語を母語とする人々も、本来語と借入語の両方をつかって、適切な表現や伝達を工夫しているのです。

本来語と借入語(外来語)については、 英語史の初歩 その2参照してください。

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